東北地方という呼称はいつから?どのような地域?

本州の北東部を占める地域で、青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島の6県からなる。北は津軽(つがる)海峡を隔てて北海道と相対し、南は関東地方に、南西は中部地方に接する。

大化改新(645)のころ、日本の中心からみて奥地を意味する道奥(みちのく)国とされ、その後、陸奥(むつ)国と書くようになり、出羽(でわ)国設置(712)後は両者をあわせて奥羽(おうう)、奥州とよぶこともあった。

なお、行政上や地域開発の観点から新潟県を東北地方に加えることもある。

東北地方どのような地域?

東北地方という呼称は明治以降のことである。

東北日本のうち、北海道は開拓が新しく、古い伝統や因襲を伴わず、近代以降産業、文化の急速な進展がみられたのに対し、東北地方は古くから開拓が進められたにもかかわらず、一時藤原氏の平泉(ひらいずみ)文化が開花したとはいえ、近世から現代に至るまで、絶えず冷害凶作にみまわれ、苦しい歴史を経てきた。

日本の近代化が進むなかで、東北地方は農林水産業など第一次産業に偏って工業化が遅れ、食料と労働力を提供するという後進性から脱却することができなかった。

第二次世界大戦後、農地改革を契機に東北地方の農業は大きく変貌(へんぼう)し、また全国総合開発計画による諸施策の効果もあがり、近代工業もしだいに定着してきた。

その結果、人口、産業の過集積に悩む中央諸地域に比べ将来性が評価され、東北地方への遷都論さえ提唱されるようになった。

東北地方の自然環境どんなの?

北海道に次いで北に位置する東北地方は年平均気温が低めで、北部の青森市で9.7℃、南部のいわき市小名浜(おなはま)で12.9℃と記録され、南北に長いためその差は3.2℃となっている。

気温の南北差は冬にやや顕著であるが、夏にはほとんど差がない。

しかし奥羽山脈を境に太平洋側と日本海側とでは気候の相違が明瞭(めいりょう)で、とくに冬の北西季節風の卓越する時期には日本海側の多雪、太平洋側の乾燥と、対照的な気候となるが、夏には中央盆地列や日本海岸の平野が太平洋岸よりむしろ高温となり、この夏の高温が東北地方の米作を支える大きな条件となっている。

東北地方では一般に春の訪れが遅く夏が短いが、太平洋側の北東部では、春から夏にかけてオホーツク気団の影響で「やませ」とよばれる北東風の卓越することがあり、日照不足と低温により作物の冷害をおこすことがある。

三陸沖は寒流と暖流がぶつかり、また北洋サケ・マス漁場を控え、太平洋岸の青森、岩手、宮城の3県ではとくに漁業が活発である。

東北地方の総漁獲量は124.7万トン(1994)に達し、全国の13.4%を占める。

サバ、スケトウダラ、カレイ、マグロ、カツオ、サンマ、イカなどを多く漁獲し、八戸、宮古(みやこ)、大船渡(おおふなと)、気仙沼(けせんぬま)、女川(おながわ)、石巻(いしのまき)、塩竈(しおがま)、小名浜(おなはま)などの漁港に水揚げされる。

養殖漁業は陸奥(むつ)湾のホタテ、三陸海岸各湾のギンザケ、ホタテ、ノリ、ワカメ、カキ、ホヤ、松島湾のカキがよく知られている。

明治維新後の様子

明治維新に際しては、諸藩は奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)を締結して奥羽鎮撫(ちんぶ)使に対抗したが、やがて悲劇的な結末となり、賊軍の汚名を冠せられた。

このことは、以後の東北の発展にも、東北人の中央での活躍にも大きな足かせとなった。

明治政府は東北経略の意図から野蒜(のびる)(宮城県)に大規模な築港を計画したが、これに失敗したのちは開発の重点は北海道に移され、1891年(明治24)に全通した東北線も北海道への連絡路としての性格が強く、以後東北地方は北海道への通り道としての地位に甘んじてきた。

蝦夷とは?

奈良時代には蝦夷経営の拠点として多賀城(宮城県)と秋田城が築かれ、これを結ぶ線上に払田柵(ほったのさく)、色麻柵(しかまのき)などが設けられた。

蝦夷に対して同化政策がとられたが、奈良時代の末期には蝦夷が各地で反乱を起こしたので、その征討のため征夷(せいい)大将軍坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が派遣された。彼は蝦夷の本拠地の胆沢(いさわ)(奥州市)を落とし、胆沢城、志和(しわ)城を築いた。

この地方に住む蝦夷(えみし)は大和(やまと)国家によってその支配下に置かれるようになる。

11世紀になって安倍(あべ)・清原(きよはら)・藤原氏らの豪族が台頭したが、安倍氏は源頼義(よりよし)に、清原氏は源義家(よしいえ)に滅ぼされ、平泉で3代にわたり栄華を誇った藤原氏も1189年(文治5)源頼朝(よりとも)の奥州攻めによって滅亡した。

以後東北地方は鎌倉幕府に従属することとなり、千葉、葛西(かさい)、畠山(はたけやま)氏らの鎌倉武士が東北地方に所領を得た。

鎌倉末期から室町時代にかけては群雄の割拠するところとなったが、戦国時代には伊達(だて)氏が奥州第一の大名となった。

関ヶ原の戦い以後、東北地方も江戸幕府の厳しい支配下に置かれ、津軽氏(青森)、佐竹氏(秋田)、南部氏(岩手)、伊達氏(宮城・岩手)、松平氏(福島)、上杉氏(山形)らの大名が配置された。

東北地方を東西に分ける山脈とは?

南北に細長い東北地方は、地形的には南北に配列する3列の山地帯と3列の低地帯とにより6列の地形区に分けられる。
太平洋側には北上(きたかみ)高地、阿武隈(あぶくま)高地の東部山地帯があり、中央には褶曲(しゅうきょく)山地の奥羽山脈があって、それに那須(なす)火山帯が並走し、両者の間には北上、阿武隈両河谷平野と仙台平野がある。

日本海側には出羽山地、越後(えちご)山脈、鳥海(ちょうかい)火山帯が走り、奥羽山脈との間には弘前(ひろさき)、大館(おおだて)、横手(よこて)、新庄(しんじょう)、山形、米沢(よねざわ)、会津(あいづ)などの盆地列がある。また日本海側には津軽、能代(のしろ)、秋田、庄内(しょうない)などの沿岸平野地帯がある。

奥羽山脈は東北地方の水系を東西に分ける大分水界であるが、全体として、南北に延びる列状の地形配置がこの地方の気候や交通網の形成に種々の影響を与えている。東北地方の地形的特色は多くの景観を生んでいる。

太平洋側のリアス式海岸には三陸復興国立公園(旧陸中海岸国立公園、旧南三陸金華山国定公園)があり、火山と温泉に富む奥羽山脈や出羽山地には、十和田八幡平(とわだはちまんたい)、磐梯朝日(ばんだいあさひ)、日光、尾瀬の国立公園と、蔵王(ざおう)、栗駒(くりこま)の国定公園がある。

また、青森・秋田両県にまたがる白神(しらかみ)山地は世界遺産(自然遺産)に登録(1993)されている。

東北地方民話の伝承とは?

東北地方にはイタコ、オガミサマ、オナカマ、ワカなどとよばれる死者のことばを伝える盲目の口寄せ巫女(みこ)がいまなお各地で巫業(ふぎょう)を営んでいる。彼女らは12、13歳で師匠につき、2、3年修業する。

経文や祭文を修得し、厳しい潔斎ののち、ウツシソメという成巫儀礼を受け呪具(じゅぐ)を授与され、縄張りを獲得して巫業を営む。巫術(ふじゅつ)は、弓や一絃琴(いちげんきん)をたたきながら祭文を唱え、忘我状態となって依頼者に死者のことばを伝える。

依頼者の求めによっては、災いを祓(はら)うオッパライや安産を願うエナバライなども行っている。福島県の羽山(はやま)ごもりは、ノリワラとよばれる者に神が憑(つ)き、農耕の豊凶を託宣する。

柳田国男(やなぎたくにお)が『遠野物語』(1910)を上梓(じょうし)して以来、東北地方の民話は人々の注目するところとなった。これらの外来者と流れを異にする民話の伝播(でんぱ)者に、江差(えさし)の「繁次郎(しげじろう)話」を語る出稼ぎ人がある。

東北地方海岸部に分布するこの笑話は、北海道のにしん場を渡り歩いたヤン衆(しゅ)の運んだ話である。
狡猾(こうかつ)な知恵者を主人公としておもしろく語り、下北半島から秋田、東北地方南部の海村まで広くに語られている。

山間部にあって笑いを伝えるものに会津の「南山(みなみやま)話」がある。
愚人譚(たん)であるが、里で暮らす者が山里の人を嘲弄(ちょうろう)する仕組みになっている。風俗習慣の違いを揶揄(やゆ)するものである。

東北の伝承資料は質、量ともに優れて豊かである。話者のなかには100話を語る翁(おきな)、媼(おうな)も珍しくない。

東北地方の総耕地面積は?

東北地方6県の総耕地面積は94.1万ヘクタール(1995)で、全国の18.7%を占める。

そのうち田(普通田、特殊田を含む)は70.1%で、全国比24.0%となる。とくに宮城、秋田、山形の3県の田の比率は高く、栽培技術の向上、品種改良、農作業の機械化などで日本の穀倉地帯を形成している。

畑作では野菜、果樹、豆類、麦類、タバコなどが栽培され、果樹のうち青森県のリンゴ、福島・山形両県のモモ、山形県のブドウ、サクランボの生産高は全国でも高い比重を占めている。

東北地方でも農家の兼業化が進み、1994年(平成6)の販売農家総数のうち専業農家は10.1%に過ぎず、1995年の新しい分類(主業農家、準主業農家、副主業農家)による主業農家は27.3%であった。

一方、青森、岩手、秋田、山形の各県は出稼ぎ農家の多いことで知られるが、1993年の兼業従事者のうち、おもに出稼ぎに従事した者は東北地方では4万1000人を数え、日雇い、臨時雇いへの従事者も20万3000人にのぼった。

東北地方では北東国土軸と日本海国土軸の二つを地域連携軸として展開し、仙台を中心とした世界に開かれた都市機能の整備、自然と調和した生活・文化環境や観光レクリエーション機能の強化などがうたわれている。

東北地方への首都機能の移転もこのような観点から期待されている。

東北6県の総人口は?

東北6県の総人口は1950年(昭和25)の約934万人から1995年(平成7)には約984万人に増加、2005年には963万人に減少しているが、1995年までの5年置きの統計をみると、1950~1955年に23万人の増加を示したあとは1970年まで減少を続け、1975年にようやく20万人の増加をみ、1980年には957万人、1990年には974万人に達した。
この間、一貫して増加したのは宮城県のみで、他の5県が増加に転じたのは1975年以降である。

全国総人口に対する東北地方の構成比は1955年の10.5%からしだいに低下して1980年には8.1%、1995年には7.8%、2005年には7.5%となり、この間の人口流出の著しかったことを示している。

人口増加が顕著なのは仙台市をはじめとする県庁所在地や主要工業都市、および仙台市周辺の住宅都市的機能をもつ諸都市である。

このような人口増加の原因には都市への工業立地や第三次産業の集積があげられるが、全体としては人口流出が減って自然増加が表れてきたことも一因である。しかし農山村の人口は減少を続け、過疎地域や過疎現象が解消したとみることはできない。

東北六県の総工業製品出荷額は?

1994年(平成6)の東北六県の総工業製品出荷額は16兆1448億円で全国のわずか5.4%にすぎず、そのうち福島・宮城両県で52.6%を占める。従来、東北地方の工業は、その土地に産出する資源に依存する資源立地型が多かった。

八戸、大船渡のセメント工業、秋田のパルプ工業、釜石の製鉄業、宮古の化学肥料工業、港湾都市での水産加工業などのほか、豊富な電源を利用した特殊鋼や電気製錬業などがある。

近年は輸入原料による化学、金属、石油精製、非鉄金属、紙パルプなどの工業が小名浜、仙台、八戸、秋田、酒田などの港湾都市を背後に立地するようになり、農村の労働力に依存する電気機器や繊維製品の工場も各地に進出している。

しかし製造品出荷額で上位を占める業種は電気機器製造業と食料品製造業が群を抜いており、それに次ぐのは飲料・飼料、一般機械、金属製品、窯業・土石、化学工業製品などの製造業で多角化傾向がみられるとはいえ、資源と労働力に依存する従来の型からの脱皮はまだ十分とはいえない。

東北地方 何気候?

東北地方は全体として温帯植物区に属し、トチノキ、クリ、カツラ、クルミ、シラカンバなどの落葉広葉樹と、ヒノキ、アスナロ、カラマツなどの針葉樹が代表的樹種である。

暖地性常緑樹のタブノキは太平洋側では岩手県中部まで、日本海側では青森県南西部まで分布し自生の北限地をなしている。

またヤブツバキ、オケラ、オキナグサなどは青森県が北限となっている。2000メートル内外の山地では高山植物が豊富で、各山地にその自生地がある。また栽培植物では、竹の栽培北限界が青森県を、茶の栽培北限界が宮城県を通っている。

まとめ

東北地方の歴史文化に触れる楽しみ方も色々ですね。今回は東北地方の少しお得な情報を紹介してみました。

次回また違った形で東北地方の魅力を紹介できればと思います。なお、今回の紹介内容が最新の情報ではない場合がありますので、お出かけの際には、最新情報を確認をしてからお出かけください。

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